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2022/09/02 人への投資・人的資本を考える(2)人的投資に関する情報開示

前回は、「人への投資・人的資本」解説の第一回として、「人への投資」=「企業価値を生む人的資産への投資」という捉え方を示し、コーポレートガバナンス、グループガバナンスそれぞれにおける重要なポイントは何か、についてお話しました。

<< 前回コラム「人への投資・人的資本を考える(1)」

今回は、コーポレートガバナンスの視点に踏み込む前に、最近話題になっている「人的投資に関する情報開示」について、政府が示した「人的資本可視化指針(案)」を参考に整理をしておきます。

目 次

政府が指針案を提示、先進企業はすでに開示に取り組み始めている

政府は今年、人的資本に関する情報開示の指針案「人的資本可視化指針(案)」を公表し、6月29日~7月29日の期間で意見募集を実施しました。

【PDF】「人的資本可視化指針(案)」(2022年6月20日)非財務情報可視化研究会
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/sustainable_sx/pdf/007_05_00.pdf

今回開示された指針案は、日本固有のルールを一から新たに作るというものではありません。
国内外で開示されている基準などを一覧表で整理し、いろいろな参考情報を掲載し、具体的な作業手順や留意事項などを、(日本固有の雇用慣行への配慮なども含めて)示しており、便利な参考書のようなつくりになっています。

※なお、今回のミニ講座では最後に世界の関連規則等のリンク集をまとめて掲載しました。各規則などの背景を理解するには、原典にアクセスするのが良いでしょう。ご活用ください。
>>世界の関連規則等のリンク集はこちら

政府が動き始めた一方で、国内外の先進企業は、人的資本に関する情報開示をすでに始めています。

企業がこの指針案に準じて情報開示を進めるのは重要なことですが、企業にはその前にやるべき重要なことがあります。それは、この指針案のさまざまな背景を理解し、自社の人的資本の実態を理解したうえで、事業戦略の面から人的資本への投資を見直すことです。

正式版の開示

※ミニ講座の執筆以降に新しい動きがありましたので追記します。

2022年8月30日に「人的資本可視化指針」(案)に関する意見募集の結果を踏まえた正式版が開示されました。 併せて、付録(開示事項例、用語の定義・注釈、国際的な開示基準の概要)と、パブリックコメントの結果が掲載されています。

内閣官房サイト:「人的資本可視化指針」(案)に対するパブリックコメントの結果の公示及び同指針の策定について
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/20220830jintekisihon.html

今回は国際的な開示基準のより詳細な情報が含まれていますので大変参考になります。

まずは「非財務情報の開示」の背景と二つの流れを理解しよう

人的資本の情報開示について理解するには、まず非財務情報の開示の背景を押さえておく必要があるでしょう。

「会社が開示する財務諸表だけで会社の価値を把握することは難しい」ということが、1980年代ころから強く認識されるようになりました。1982年にまず米国で、このような企業価値の評価に必要な非財務情報の開示をMD&Aと呼んで、それまでの財務諸表の記述にはなかった情報の開示を求めました。MD&AとはManagement’s Discussion and Analysis of financial condition and results of operationsの略で、財務状況と業務執行の結果に対する経営者による説明のことです。

その後、非財務情報の開示対象範囲はさらに広がっていきますが、そこには二つの流れを読むことができます。

  1. 「企業価値評価」のための情報開示を求める流れ
  2. 「企業の社会的責任評価」のための情報開示を求める流れ

ひとつは、企業価値評価のために投資家が無形資産に関する情報をより多く開示するよう要請するようになってきたことです。
投資家は、先進国の民間投資の大部分は無形資産(例えば、人的資本、ブランド、知的財産、研究開発関連など)への投資が占めているにもかかわらず、開示されている情報は少なすぎると認識しているのです。

もうひとつは、ESGと社会のサステナビリティに対する企業の社会的責任に関する流れです。ESGとは環境Environment・社会Social・ガバナンスGovernanceの3つの観点、サステナビリティとは環境や社会などの持続可能性のことです。
2006年に国連が投資家など資本市場に対するPRIという新しい原則を示しました。Principles for Responsible Investmentの略で、日本語では責任投資原則といいます。
その中で投資先企業のESGへの取組を投資判断の新たな尺度として導入するように要請しました。その結果、投資家は企業にESGとサステナビリティへの取組などの非財務情報を開示するよう強く要請するようになっています。

企業もESGに関わる問題が企業の評価、ひいては業績に大きく影響するようになっていることを理解して、企業の社会的責任の重要性を認識してきていますし、ESGやサステナビリティの大きな流れを事業の機会とも考えるようになってきています。

情報開示のルール作りは、まず気候変動問題関連の作業が先に進んできましたが、この非財務情報開示の流れの中で、いま人的資本に関する情報開示の議論が進んでいるところです。

人的資本に関する情報開示における二つの流れ

人的資本についても、企業価値評価に絡む流れと社会的責任の評価に関する流れの二つの流れが読み取れます。

企業価値評価の流れでは、企業価値の向上に向けた活動を評価するための情報が求められています。人的資本が企業の価値をどのように生み出しているのか?企業の中の人的資本がどのように構築され強化されているのか?企業の中で働くことへのモチベーションをどのように高めているのか?人的資本に絡むリスクと機会に対してどのように対応しているのか?などの情報を、投資家たちは要求しています。

社会的責任の流れでは、労働環境と労働慣行、人権問題とコンプライアンス、などについて(従業員だけでなく企業のサプライチェーンで働く人全般も含めて)、企業は報告すべきだという声がステークホルダー(利害関係者)の間で高まっています。ここでは、人的資本に関する社会的責任に企業がどのように取り組んでいるかということと、人的資本に関する社会の動きが企業にどのようなリスクと機会を与え、企業はそれにどのように対応しようとしているか、の両面での情報開示が求められています。

「マテリアリティ」という用語からわかる情報開示の難しさと二面性

マテリアリティ(重要課題)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
非財務情報開示に関する新しい考え方で、よく使われている用語なので理解を深めておきましょう。

これは「経営者が何を重要と考えているか?」という意味で理解すれば良いようですが、このような用語が使われる背景には、非財務情報開示の曖昧さと難しさが広く認識されていることがあると思われます。

上で見たように、非財務情報の開示には企業価値評価の流れと、ESG/サステナビリティといった社会的責任評価の流れの二つがあり、それぞれ提案されている指標や情報も膨大な量になっています。これらの指標や情報を網羅するだけでは、情報を整備して開示する企業の負担になるだけでなく、投資家やその他のステークホルダーにとっても扱いにくいものになります。
そこで、「マテリアリティ」の考え方に則って、企業として重要と考えるポイントを絞り、具体的なデータと実例でストーリーを展開することが現実的な形となっています。

そのように企業にとっては、企業の独自性を表現してアピールすることになりますが、一方で投資家やステークホルダーにとっては、企業を評価することは他社と比較するという側面があります。

このため、企業の経営者は人的資本の情報開示において、「独自性のアピール」という要素と「比較可能性」という要素のバランスをとることが必要です。

同様に、経営者は数多くいるステークホルダーのうち誰に向けたマテリアリティのアピールか?ということも考えておかなければなりません。その判断そのものも「マテリアリティ」の意味するところと理解するべきでしょう。

人的資本に関してマテリアリティを効果的に開示するには?

人的資本が企業の業績に大きな影響を与える可能性があることや、人的資本を表現するために多くの指標があることには、企業も投資家も同意していますが、企業の価値を評価・検討するときにどの情報や指標を用いるのが効果的であるかはあまり合意がありません。

こういったことについては企業も投資家も同意しています。
ところが、企業の価値を評価・検討するときにどの情報や指標を用いるのが効果的であるかということになると、あまり合意がありません。

合意がないために、経営者は自社のマテリアリティ(経営者が何を重要と考えているか?)を先に示し、それに対してどのような方策を打ち、どのような成果が出ているかを開示するように要請されています。そして投資家はこのようにして開示された情報全体を見て企業を評価するという仕組みになっています。

これらの指標はISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)などに具体的に定義されています。

つまり、企業経営の基本方針と人的資本への取組・実績を論理的に組み立ててストーリーを作ることが必要になります。

人的資本の問題は根が深い、まずは自社分析から始めよう!

ここまで、非財務情報開示には二つの流れがあることと、「マテリアリティ」という新しい考え方が導入されていることを理解しておくことが重要であると示してきました。

しかし、企業経営の現場の視点で見ると、人的資本に関して一度や二度の情報開示でアピールすることはできても、継続的な情報開示で投資家などの評価を繋ぎとめていくことはハードルが高いことのように思われます。社内の人的資本の本質的な変革は、成果が出るまでに非常に長い時間がかかるからです。

多くの日本の企業では会社間での人材の流動性が少ないため、新入社員を採用したときの採用方針とその後の育成方針が、その後数十年にわたって経営者に与えられる経営の前提条件となっています。
これらは、企業の文化と歴史に深く根差していて、表面的に人事制度を変えても、本質は容易には変えられません。

ちなみに、皆さんの会社では、人事データを30年さかのぼって分析できるようになっているでしょうか?

ISO30414などに提示された人的資本を表現するいろいろな指標について、過去にさかのぼって、現在のデータがあるか/ないか、過去に遡れるか/ないかを含めて、分析してはいかがでしょうか?

それらのデータから演繹される将来の人的資本のイメージと、会社の中長期的戦略の接点を考えて、どのように変えていくかが、会社の中での人的資本の議論の入口になると思います。

 

次回は、ミニ講座の本題に戻って、コーポレートガバナンスとグループガバナンスの視点から人的資本の問題について、上記の議論も踏まえながら考えます。

参考資料:世界の関連規則等のリンク集

「人的資本可視化指針(案)」で引用されている世界の規則などについては、指針案の中で分かりやすく整理がされていますが、各機関の目指すところや立ち位置はそれぞれに違っているので、表面的に開示情報を取りそろえるだけでは読み手が期待していることと一致しないかもしれません。
各規則などの背景を理解するには、それらの原典にアクセスするのが良いでしょう。ここには、参考のため現時点で最新と思われる情報のURLを示しておきます。

1)任意の開示基準

機関名文書とURL
a. ISO(国際標準化機構)
International Organization for Standardization
● ISO30414 Human resource management — Guidelines for internal and external human capital reporting
(人的資本のマネジメント―人的資本に関する情報開示のガイドライン)
https://www.iso.org/obp/ui/#iso:std:iso:30414:ed-1:v1:en(有料)
b. WEF(世界経済フォーラム)
The World Economic Forum
● Measuring Stakeholder Capitalism: Towards Common Metrics and Consistent Reporting of Sustainable Value Creation
(ステークホルダー資本主義の進捗の測定:持続可能な価値創造のための共通の指標と一貫した報告を目指して)
http://www3.weforum.org/docs/WEF_IBC_Measuring_Stakeholder_Capitalism_Report_2020_Japanese.pdf(日本語版)
c. SASB(サステナビリティ会計基準審議会)
Sustainability Accounting Standards Board
● SASB Standards(SASBスタンダード)
https://www.sasb.org/standards/download/?lang=en-us(業種ごと:日本語版もあり)

● SASB Human Capital Bulletin (SASB人的資本紀要)
SASB Human Capital Bulletin – SASB
d. GRI(グローバル・レポーティング・イニシアティブ)
Global Reporting Initiative
● GRI Standards(GRIスタンダード)
https://www.globalreporting.org/how-to-use-the-gri-standards/gri-standards-japanese-translations/

サステナビリティ会計基準審議会は、2021年6月にIIRCと統合されて新組織VRF(Value Reporting Foundation)を設立、その傘下に入った。その後VRFはさらに、IFRS財団に統合された。IFRS財団は国際財務報告基準IFRS(International Financial Reporting Standards)を策定している民間非営利団体。

2)制度開示(準制度開示)

機関名文書とURL
a. SEC(米国証券取引委員会)
Securities and Exchange Commission
● Regulation S-K(レギュレーションS-K:非財務情報)
17 CFR Subpart 229.100 – Business | CFR | US Law | LII / Legal Information Institute (cornell.edu)

● Modernization of Regulation S-K Items 101, 103, and 105
(レギュレーションS-K の101、103、105の改版)
https://www.sec.gov/rules/final/2020/33-10825.pdf
b. EC(欧州委員会)
European Community
● Proposal for a DIRECTIVE OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL amending Directive 2013/34/EU, Directive 2004/109/EC, Directive 2006/43/EC and Regulation (EU) No 537/2014, as regards corporate sustainability reporting
(企業サステナビリティ報告に関連する改版提言)
EUR-Lex – 52021PC0189 – EN – EUR-Lex (europa.eu)

● ESRS : the Draft European Sustainability Reporting Standards
(欧州サステナビリティ報告基準(案))
https://efrag.org/lab3#:~:text=About%20the%20Draft%20European%20Sustainability%20Reporting%20Standards%20The,the%20adoption%20of%20EU%20Sustainability%20Reporting%20Standards%20%28ESRS%29
c. 日本政府 ● 金融商品取引法
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000025
d. JPX(日本証券取引所グループ)
● コーポレートガバナンス・コード
https://www.jpx.co.jp/equities/listing/cg/tvdivq0000008jdy-att/nlsgeu000005lnul.pdf

3)本指針案で引用されている関連文書

機関名文書とURL
a. IIRC(国際統合報告評議会)
International Integrated Reporting Council
● 国際統合報告フレームワーク(日本語訳)
https://www.integratedreporting.org/wp-content/uploads/2015/03/International_IR_Framework_JP.pdf
b. TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)
Task Force on Climate related Financial Disclosures
● Final Report: Recommendations of the Task Force on Climate-related Financial Disclosures
(気候関連財務情報開示タスクフォースによる提言 最終報告書)
https://assets.bbhub.io/company/sites/60/2020/10/TCFD_Final_Report_Japanese.pdf(日本語訳)
c. FRC(英国財務報告評議会)
The Financial Reporting Council
● Workforce-related corporate reporting
(従業員に関する企業報告についての報告書)
https://www.frc.org.uk/getattachment/59871f9b-df44-4af4-ba1c-260e45b2aa3b/LAB-Workforce-v8.pdf

 

以上

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人への投資・人的資本を考える(1)

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コンサルタント(経営戦略策定と実行支援、経営管理の企画と実行支援)

私は、上場企業役員及び子会社2社の社長を務めた後、国立大学法人の監事として働きました。その間組織のガバナンスのあり方を考え、今はBIPの中で「社外取締役・コーポレートガバナンス」研究開発部会を主査しております。このミニ講座では「攻めのガバナンス」を話題の中心に据え、企業経営者自らの大胆な決断に結びつけるお手伝いができることを目指し、コーポレートガバナンス・グループガバナンスについての情報を発信していきます。

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