佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2008/05/08 “一生に一度”の伊勢神宮参りと国宝薬師寺展

 私たち日本人は、縁あって日本に生まれた。今年のゴールデンウィークは、伊勢・鳥羽・志摩の旅をし、平城遷都1300年記念国宝薬師寺展をみた。2000年の歴史をもち、“一生に一度は伊勢参り”とされる唯一神明造の伊勢神宮。360度から見える薬師寺日光・月光菩薩立像が寺外で初公開。永遠なる心と美の遺産に触れたまれに見る有り難い体験であった。皆様は、もう体験済みかもかもしれませんね。

(1)伊勢神宮参りの旅-2000年前の祖先の永遠なる魂が宿る
 
 名古屋駅から近鉄特急で約1時間半、伊勢、鳥羽に着く。伊勢は、ビジネスホテル中心であり、観光ホテルはほとんど鳥羽にあると地元タクシー乗務員が教えてくれた。お伊勢参りと鳥羽・志摩周辺観光(ミキモト島、鳥羽水族館、志摩湾)は快晴で、喜びと感激、心のおみやげがたくさん出来た楽しい旅であった。

1. 旧伊勢市の半分は、神宮林
伊勢市は平成17年に合併したため、伊勢神宮の敷地は市の25%程度となったが旧伊勢市の半分であったと知った。敷地のほとんどは森林であり、神宮林と呼ばれる。神宮は、皇大神宮〔内宮(ないくう)〕、豊受大神宮〔外宮(げくう)〕の両正宮を中心として、十四所の別宮、百九所の摂所、末社、所管社からなりたっています。

内宮に隣接するおはらい町、おかげ横町を歩くと、伊勢市は日本史で学ぶ伊勢神宮の門前町であると納得する。楽しい食べもの・買い物・遊びで笑顔が一杯である。伊勢信仰は、江戸時代に庶民に浸透し、3000万人口の時代に年間500万人の伊勢参りがあったらしい。今であれば、年間2000万人が“いいじゃないか”という声で“一生に一度”すべてに許された伊勢参りをすることになる。昨今は600万人位が参拝し、式年遷都の年は800万人を越える。(伊勢市『2007年版市勢統計要覧』)

2.外宮から内宮へ
 豊受大神宮は、食物の守護神であり、私たちの生活を支える一切の産業をおまもりくださる神様である。駐車場があり、関西・東海圏から多くの方が車で来られるという。外宮を参拝し、タクシーで内宮に向かった。外宮と内宮は、数キロ距離がある。

高欄つきの和橋である宇治橋を渡り、五十鈴川の清流に手を清めると、身も心もさわやかになる。皇大神宮には日本国民の大御親神とあがめまつる皇祖天照大御神をお祀りしている。第十一代垂仁天皇(約2000年前)の時代に現在の地になったという。

ご正殿は唯一神明造という日本最古の建築様式で、ヒノキの素木を用い、切妻、平入りの高床つくりです。屋根は萱で葺き、柱は掘立、すべて直線式で、屋根の両端には千木が高くそびえる。2000年前の祖先の生活と神々への信仰の姿が頭に浮かんだ。

3.伊勢神宮の神秘である永遠の「式年遷宮」の真髄を探る
 ご存じのように、20年に一度新しい神殿を造営し、装束・神宝をととのえ、大御神様におうつり願う儀式です。この制度は、690年に天武天皇の意志を継いだ持統天皇によって行われた。『延喜式』にこの発令の記録があるという。

   「千三百年以上も続く式年遷宮を支えたキーワードに“常若”の思想があげられます。常若とは文字どおり、常に瑞々しく若々しいことを表しています。決して壊れない社殿をつくることによって永遠をめざしたのではなく、繰り返し新しくつくり続けることによって永遠を目ざした。これこそ、美しい四季をもつ日本の自然に育まれた、わが国ならではの思想ではないでしょうか。」(小学館『和楽』5月号)

私は、結果は同じかもしれませんが、ちょっと違う解釈です。湿潤地帯の日本において、木造建築や萱葺きの屋根は自然の経年変化に堪えるには限界があった。ギリシャの石文化とは違います。時の天皇が、20年毎に新しく造営するという制度を決めたことが決定的に重要だと思うのです。私たちの祖先は、思想の前に、自然条件と当時の建築技術、人間集団が継続するためのしくみへの現実的洞察が優れていたと思います。新しくすることを制度にすることは、永続を願った日本人に合った素晴らしい智慧であった。
  
 4.日本民族の常なる進歩を願う
番外ではあるが、憲法は現在最高位の制度とふっと思ったので、関連して記述する。5月3日は憲法記念日であった。2000年前は、祭政一致の時代であったと思われる。式年遷宮は、伊勢神宮の1300年の智慧であるが、人間集団の永遠に役立つ智慧を提供していると思う。いつの時代も、社会的に新しいことをすることには抵抗が多く、困難に満ち生死を分かつ戦争に繋がる危険があった。NHK大河ドラマ『篤姫』は、江戸末期の制度と人間集団の激動を描き、大人気である。

聖徳太子の憲法以来、日本の法令制度は何度も変遷をしてきた。戦後憲法が、占領軍の日本復活阻止の意図のためか、憲法改正が困難な3分の2の議員発議となり、憲法改正の法律自体が国会で約60年間も放置された。やっと法律ができ、憲法調査会が発足しても、参加しないことを誇る国会議員など違法状態を平然とする動きも多い。現代は内戦になることはないが、進歩を止める制度の結果が何をもたらすかを私たちは現実の時事問題として目の前で体験している。

日本民族は、今が最盛期でもう進歩をやめ、子供・孫の時代は衰退していいのでしょうか。私見ですが、憲法改正は少なくとも20年毎に義務的に実施すると憲法に明記したらどうでしょうか。改憲派・護憲派という図式がなくなり、何を継続して活かし、何を新しくするかのみ議論するのです。憲法改正も、PDCAを廻したらどうでしょうか。少しずつですが、日本は進歩を続けると思います。国家のリーダーである政治家は、人間の本質についての深い洞察が必要であると思う。国会・行政だけでなく、三権の一つ司法のリーダーの役割も大きい。

(参考資料)
  神宮司廳阿『伊勢の神宮』
  神宮徴古館農業館『神宮の博物館』
    
(2)東京国立博物館「平城遷都1300年記念 国宝薬師寺展(~6/8)」
 
 人気とは思っていたが、約1時間入場待ちの盛況であった。ディズニーランドの人気コース待ちと同じく外で何重もの行列であったが、天候が晴れで22度前後の気温は幸いであった。行列で本を読んでいる方もおり、そのほとんどは女性であり、流石と感心した。

1.空前絶後の本展覧会のみどころ
 私は、数年前に奈良の旅で薬師寺を訪れた。南都仏教を体験した親近感に加え、何よりも日光・月光菩薩立像を360度の角度から公開の場で見られることに興味があった。

「本展覧会は、平城遷都1300年を記念して開催するもので、日本仏教彫刻の最高傑作のひとつとして知られる金堂の日光・月光菩薩立像(国宝)がそろって寺外で初公開されます。・・ 特に、寺内では日光・月光菩薩立像はその光背のために、また聖観音菩薩立像も厨子内にあるため、そのすばらしい側面や背面をよく見ることはできませんが、本展覧会ではこの3体の菩薩像をあらゆる角度からご覧いただけます。
 薬師寺の歴史と美のエッセンスをお届けする本展覧会は、空前絶後といっても過言ではない質の高さを誇り、かつて見たことのない「薬師寺」をご覧いただける絶好の機会です。」
(公式ホームページより http://yakushiji2008.jp/)

2.癒しのまなざしと美に感動―薬師寺仏像が放射するもの
日光・月光菩薩立像のまわりに多くの方々と同様に長い時間居た。360度まわってみながら、表情、全身をみている間に特別な空間に引き込まれてしばらく立ち止まっていた。この頃の仏像は、神でもあり、人間でもある。なんと凛々しくも、優しさを湛え、心を癒やすまなざしがあまねく衆生に放射する。同時に何と美しいのだろうかと、激しく美に耽溺する感情に襲われる。今に生きる仏教芸術の神秘。千数百年前の日本人の祖先はどう感じたのだろうか。有限の生を知る人間が、その永遠の生命と救いを願う率直な感情は変わらないと思う。人間にとって、神仏への信仰は永遠なのだ。
 
3.インド最新文明を漢字文化圏に広めた玄奘三蔵
 薬師寺には、玄奘三蔵院伽藍があります。薬師寺の法相宗の教学である唯識思想をインドに求め17年もの求法の旅をし、約2万巻の経典をもたらした。そのうち1335巻の経典翻訳をし、絶大な功績を残した中国唐代の名僧玄奘三蔵法師。そして、その弟子慈恩大師。

サンスクリッド語を漢語に翻訳した経典現物に見入る。日本、唐、インドの地図を眺める。どの時代にも、過酷な困難に立ち向かい人生を賭けて文明を切り開く熱い人間の存在に頭を垂れる。

4.美と幸福の女神―国宝 吉祥天画像
 麻布に描く単独の絵画としては日本最古の天平美人画とされています。もともと吉祥天女は美と繁栄を象徴する幸福の女神です。古来奈良の寺で正月に勤められる修正会のご本尊・正月初詣の神として、信仰を集めていたそうです。

「赤外線写真によると、ゆったりとした襟元には、豊かな乳房の谷間が描かれているということから、この仏画の元になった例は、唐代の仕女を描いた美人画であっただろうとも指摘されています。」(安田日英胤『住職がつづる薬師寺物語』四季社)

 女性は、永遠の美の実像であり象徴である。美人画は、人間の自然の感情の発露・美のカラーとフォルムの創造の歴史として永遠に続いていますね。

5.百万巻のお写経勧進で薬師寺白鳳伽藍復興を発願した高田好胤管長
 度重なる災害で、昭和初期に残ったのは東塔だけでした。今我々が見ることができる金堂は1976年復興、その後西塔、大講堂も復興されました。この壮麗な大伽藍の美しさは「龍宮造り」と呼ばれ、千三百年という長い歴史の時空を越え、今なお信仰と美術が見事に調和し息づいています。

 「好胤管長は、・・・昭和43年に“百万写経による薬師寺金堂復興”をスタートされましたが、当時、それが成功すると思った人はほとんどありませんでした。・・・管長は、お写経勧進を始めた昭和43年から平成10年までに、八百三十一ケ所、八千七十二回に及ぶ勧進行(講演)をされました。・・白鳳伽藍復興が、その賜物であることは言うまでもありません。」(安田日英胤『住職がつづる薬師寺物語』四季社)
 
薬師寺伽藍復興の意義を自覚して、歴史的な発願をした高田管長の存在。人々の浄い心と尊い功徳の結晶に驚愕した。日本人の仏教信仰への限りない尊崇の念か、人間存在としての浄書修養による心の安寧への祈りだろうか。

日本の誕生、仏教の伝来以来、脈々と続く日本人の神仏信仰の伝統、祈りの心に直接触れたいと思っていた。現在の人間が見えていない、コントロールできない自然・祖先・伝統への尊崇と素直に畏怖する気持ちを忘れてはいけないと、痛切なる教えを頂いた素晴らしいゴールデンウィークであった。

 (参考資料)
  法相宗大本山 薬師寺『薬師寺』

以上

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