佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2008/10/14 TV『篤姫』が“尚五郎さん”と呼んだ、『龍馬を超えた男 小松帯刀』

―読書の秋 日本を元気にする100年の視野と智慧、勇気を求めて(5)―


 今回は、企業リーダーでなく、日本の社会変革、開国という激動の時代の国家リーダーを紹介します。薩摩藩家老となった「幕末最大の英傑」小松帯刀(こまつたてわき)を取り上げます。帯刀は、幼名・肝付尚五郎(きもつきなおごろう)といい、島津小松家の養子となった。TV『篤姫』に準主役で登場している“尚五郎”の知られざる歴史的偉業に目を開かされた。原口泉著『龍馬を超えた男 小松帯刀』(グラフ社 2008年4月)が実に面白く、新鮮な史実と切り口に一気に読んだ。彼は、時代の主役である。小説や映画・TVドラマの影響で個人の英雄像に成りがちな我々の歴史群像をも問い直す。

 NHK大河ドラマ『篤姫』がクランクアップしたことが大ニュースになる程人気である。
私も毎週欠かさず見ており、毎回面白く、盛り上がる。あと3ケ月、TV『篤姫』脚本家田淵久美子さんが描き出す“尚五郎”の展開と、TV『篤姫』時代考証家 原口泉氏の本が描くリーダー“帯刀”をパラレルに味わえる楽しみが増えた。

(1)知られざる龍馬と帯刀の出会いと深いつながり

 私自身、以下の内容は初耳が多く、意外であった。自分の認識が正され、良かった。

 『龍馬は天保六年(1835)、帯刀と同年の生まれです。・・(略)・・その出会いとは、神戸にあった勝海舟の海軍塾、神戸海軍操練所が閉鎖され、その塾頭だった龍馬を大坂の薩摩藩邸に引き取ったときでした。
 実は、それ以来、後に海援隊となる亀山社中を作ったのも、薩長同盟のための遊説に路銀を与えて龍馬を送り出したのも、度重なる談合場所に京都の小松邸を提供して「薩長同盟」を実現させたのも、「大政奉還」実現のために、十五代将軍・慶喜にその受け入れを説得したのも帯刀でした。しかし、それを知る人はあまりにも少ないのです。』
(同書6-7ページ)

 何故なのでしょうか。その疑問にも、原口氏は、回答を用意しています。
 
 帯刀は何度となく叙位を辞退しています。それは「無私」の発露であったと言う。しかし、『小松帯刀の類稀な「無私」の精神は、やがて後世における帯刀の名自体をも、葬り去ったのではないかと私には思えるのです。』
(同書242ページ)

 

(2)「帯刀なくして、龍馬・西郷・大久保の活躍はなかった」

 原口氏は、時代考証家である。膨大な調査と研究によって、史実からこう語っている。

 『維新の推進は、これら草莽の志士による活動をばねにしながら、結局は、挙藩体制と、薩長雄藩連合によるしかなかったのです。・・(略)・・帯刀は、龍馬と同様、西郷や大久保といった幕末の英雄の中ではもっとも若かったわけですが、その出自を考えれば、彼がリーダーシップをとったことは想像に難くありません。
 次に列挙するように、その他にもさまざまな歴史の局面で、帯刀は偉業を成し遂げています。
・ 島津斉彬(なりあきら)の遺志を継ぎ、薩摩藩の近代工業導入に努力
・ 薩英戦争における善戦とみごとな戦後処理
・ 禁門の変の先頭に立ち、勝利を導く
・ 勝海舟の軍艦奉行罷免に際し、龍馬ら神戸繰練所塾生30名を保護
・ 開成所(洋学校)の設置
・ 英国留学生の派遣
・ 薩長同盟を主導
・ 英国公使パークスの招聘
・ 大和交易コンパニーの設立
・ 薩土盟約を主導
・ パリ万博への薩摩藩独自参加を推進
・ 二条城大会議で徳川慶喜(よしのぶ)に迫り、大政奉還を決意させる
・ 明治新政府の「外務大臣」として堺事件、兵庫事件を解決
 もちろん、すべてが帯刀一人の力によるものではありません。しかし、少なくとも、藩主・島津忠義と国父・久光に代わって、すべての最高責任者を務めたのは帯刀でした。』
(同書19-20ページ)

(3)「帯刀が龍馬・西郷らを超えていた点」

 原口氏の論点は、単なる個人の比較でない。維新の特徴と薩摩藩の役割との観点で歴史的視点から個人をみる必要性を述べているのではないかと推察する。

 第1は、誤解を恐れずに、敢えて小説と歴史の視点の違いを述べている。
 
『司馬遼太郎氏はじめ、小説家が書く歴史小説は、ある個人の英雄物語になることがほとんどです。人々が幕末維新史を語るときもまた、「あのとき龍馬が、このとき西郷が・・・」といった具合に、個人の力が維新という大事業をやったかのようになります。
しかし、一国を個人が動かすことができるでしょうか。私は、それは不可能であって、やはり、世の中は動いていく原動力は組織だと考えています。』
(同書228ページ)
『私が小松帯刀について語りたいと思ったのは、こうした組織の持つ力について考えてみたかったからです。』
(同書229ページ)

第2は、薩摩藩の影響力の重要な要素に、藩の分裂回避による藩力の強さを指摘する。無血変革を望んだ帯刀、龍馬等の願いに反して、結局は軍事力の衝突となった。

『薩摩藩が、倒幕の維新の中心的な存在になり得た最大の理由は、これまで述べてきたように、薩摩藩が分裂することなく維新を迎えたということに尽きます。もちろん、国父である島津久光の力が大きいことは動かぬ事実です。しかし、藩を決定的に分裂させなかった力はどこにあったのかを考えると、やはり帯刀と大久保に行き着くのです。
大久保を軽輩の代表とすれば、帯刀は門閥の代表です。二人の共通点は、言うまでもなく、藩から脱出せずに、最後まで薩摩藩の人間として活動したことです。幕末史を語るとき、こうした組織力を語らないのは、片寄った見方というべきでしょう。』 (同書234ページ)

(4)“騎士道”の国の外交官が見た“武士道”

 原口氏は、当時のイギリス外交官、アーネスト・サトウの著書『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)の以下一文を紹介する。

『小松は、私が知っている日本人の中で、一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的才能があり、態度にすぐれ、それに友情が厚く、その点で人々に傑出していた。』

 当時の武士は、支配階級であるが、同時に政治・経済・道徳のリーダーであった。

以上
 (追記)2008年3月3日BIエッセイ「雛祭り-NHKTVドラマ 宮﨑あおい主演『篤姫』人気を探る」で、原口泉氏の著作『篤姫-わたしこと一命にかけ(グラフ社)』を紹介しています。

thumbnail_sasaki佐々木 昭美(ささき あきよし)

取締役会長 総合研究所所長

経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)

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