佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2009/07/21 経営品質・現場品質統合経営の時代③:『「致知」荒川博・王貞治師弟対談:「世界の王」はこうしてつくられた』を読んで

 ホームラン世界記録868本の偉業を成し遂げた王貞治(おう・さだはる)氏(福岡ソフトバンクホークス球団会長。以下、王さんと敬称する)! 

 その王さんを「世界の王」に育てた荒川博(あらかわ・ひろし)氏(日本ティーボール協会副会長。以下、荒川さんと敬称する)!

 二人の出会いから55年の時を経て初の対談が掲載された月刊誌『致知』8月号が会社に届いた。『対談~師弟感奮興起物語:「世界の王」はこうしてつくられた』のタイトルがすぐ目に入った。王さんのホームランに歓喜した世代である私にとっては、是非読んでみたい画期的企画である。『致知』編集部に対して感謝の気持ちで一杯である。
 
 私は沢山の興味と疑問がありました。皆様も、「世界の王」はどうして実現したのか?を知りたいですよね。私は中学・高校と卓球部でしたが、社会人の朝野球では一応ピッチャーやショートでしたので、野球の初歩的知識はある程度わかります。

 ・王さんと荒川さんのそもそもの出会いは?
 ・王さんは「努力の人」といわれているが本当はどうだったのか?
 ・王さんの一本足打法技術との出会い、ホームラン量産はどうして出来たのか?
 ・成功をもたらした師弟の関係とは?

 荒川・王師弟の感奮興起(かんぷんこうき)物語を読んで、企業経営や生き方に示唆するものが多いと感じました。経営側も現場側も、二人の師弟関係には共に学ぶことが多いと思います。「経営品質・現場品質統合経営の時代シリーズ③」としたのはそのためです。

 「世界一」には、汲み尽くせぬ人間力と技術力のドラマに満ちています。

参考書籍「致知」2009年8月号

(1)王さんと荒川さんのそもそもの出会いは?

 二人の出会いは、55年前の偶然であった。昭和29年11月23日の午後2時頃だった。荒川さんは当時24歳。毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーズ)の選手だった。秋季練習の無かった時代で、近所の隅田公園へ出かけた。そこに凄いピッチャーがいた。

 王さんが中学2年の時。『王:草野球の試合に出ていたのを目に留めていただいたのが、荒川さんとの初めての出会いでしたね。』(参考文献64ページ)

(2)「はい」って答えた素直さが、「世界の王」をもたらした

 当時、王さんは左投げのピッチャーで右打ちだった。一打席目三塁ゴロ、二打席目ショートフライ。荒川さんが、王さんに声をかけた。

『荒川:それで三回目の打席に立った時にね。「ちょっと待って、坊や。君は何で右で打ってるの?本当は左利きなんだろう?次の打席は左で打ってごらん」と声を掛けたら、「はい」って素直に言ったんだよ。これがすべてのきっかけだな。・・(略)・・ところが次の打席で左ボックスに入った坊やは、いきなり二塁打をかっ飛ばした。・・(略)・・これが王の一番のいいところであって、それが今日の成功をもたらしたんだよ。この「はい」が。だから私はいつも「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人だ」というんだよ。これがもう第1条件なんだよね。』(参考文献64ページ)

 王さんは、その後も恩師荒川さんに一度も口答えしたことはないと言う。凄い方である。
 

(3)王さんは「努力の人」といわれているが本当はどうだったのか?

 早稲田実業高校に入学し、全国制覇し、昭和33年ドラフト一位でジャイアインツに入団決定した。3年間の成績はそこそこの成績だったが不満足であった。

 7年後再び、荒川さんとの2回目の出会いが始まった。川上監督が荒川さんに王選手のコーチを依頼したのだ。荒川さんが31歳、王さんが21歳の時である。

『荒川:いまでこそ、王は「努力の人」だなんて言われているけれど、それは後にそうなっただけのことであってね。遊んで、遊んで、遊びまくって、監督の川上哲治さんが手がつけられずに「荒川、頼む」ということで、私がコーチに呼ばれたんだから。』

 しかし、荒川さんとのマンツーマンの練習を始めてから、王さんの努力は並でない。21歳から30歳までの約10年間、とにかく荒川コーチの言うことは絶対間違っていないという信念をもって取り組んだそうだ。

『王:他の選手は例えばキャンプでの練習が終われば、その後10分か20分程度しかスイングをしません。でも荒川さんとの練習は、夜11時頃から始まって、少なくとも1時間。長ければ2時間、3時間にも及ぶというものでした。』(参考文献65ページ)
 
やはり、王さんは「努力の人」である。

翌朝まで練習することもあったという努力の大切さを、荒川さんは指導者の経験からこう述べる。

『しかしそんな王にも、さっき話したような、怠けていた時代があったというのがいいんだよ。いまの子供や青年たちにも励みになるだろう?「いままでのことはいいんだよ。気持ちを入れ替えて、これから始めりゃいいんだ」と。これが一番大切なことなんだな。』(参考文献68ページ)

 単純だが、生徒のすべてを受け入れ、人間の奥深い秘められた力を引き出す金言である。

(4)王さんの一本足打法技術との出会いとホームラン量産はどうして出来たのか?

 一本足打法が、ホームラン世界記録を生み出したことは、内外のプロもビックリしたに違いない。その秘密を是非知りたいと思った。

 王さんは最初、二本足ではタイミングがうまく取れなかった。打撃は、手と足と心の三位一体の動きが大事だという。その解決の練習から一本足打法が生まれた。

『荒川:初めは歩きながらバットを振らせたこともある。走りながらバットを振らせたこともある。一本足打法は、そういう練習方法から発想していったんだけど、足をいったん固定して一つの「間」をつくらないと、バットは力いっぱい振れないんだ。・・(略)・・結局ね、私が合氣道の植芝先生から教えてもらったのは、力の出し方、使い方なんだ。私はやっぱり武道というのはスポーツの源だと思う。力の出し方、使い方によってすべてが決まるんだ。私はそれを先生から習って、習ったことをそのまま王に教えた。・・(略)・・バットだと振り回すという感じがでちゃうんだよ。刀は一直線。だから無駄がないんだ。』(参考文献69ページ)

 王さんは、武道の技術鍛錬がもたらしたホームラン量産効果をこう述べている。

『王:それまでの野球選手の感覚では、バッティングとは「ボールをひっぱたく」というものでした。けれども、刀で物を斬る動作の練習をさせてもらってからは、「ボールをバットで斬る」という感じで打つようになりました。そうすると手がこねず、無駄な力が取り払われて、ホームランの出る確率がぐっと上がっていったんです。』(参考文献69ページ)

(5)成功をもたらした師弟の関係とは?教える側こそ命がけ!

 王さんも、選手引退後は監督という人を教える立場になり、その難しさを痛感したとしてこう述べている。

『王:やっぱりちゃんとしたことを教えなきゃ、間違った方向に育ってしまうわけですから。教える側の人間は、よほど重くその責任を受け止めていなければいけませんね。生半可な気持ちじゃ務まりません。教わる側よりも、教える側のほうが命懸けじゃなきゃダメですね。』(参考文献66ページ)
 
 荒川さん自身、朝6時に起きて合氣道や居合を習い続けた。当時は、他のコーチ陣から「おまえバカか。合気道や居合を習って、なんで野球がうまくなるんだ?」と変人扱いされても挫けなった。日本一の先生方に習っていたから自信を持って教えることができたという。恩師自身が、必死で学び、研究を重ねていたのだ。
 
 同時に、弟子である王さんの「努力の違い」を指摘する。
『荒川:間違った振り方でいくら練習したって意味がない。その、うまくなる方法、要するに、努力の仕方を教えただだけなんだ。それを王は実に丁寧にやってくれた。いいかげんじゃなかったんだ。努力の仕方が違った、他の人とは。こちらが言ったとおりのことをやってくれた。』(参考文献66ページ)

 ホームラン世界記録868本という金字塔を実現した師弟の放つ“努力”という単純な言葉は、師弟両方に対して並でない人間力と技術力への深耕を問うている。

(追記)
1.感奮興起の意味:「何かに感じ自分もうかうかしておれないと奮い立つことである。人間の成長、人生の発展に不可欠の資質、要素である。」(参考文献7ページ)

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(参考文献)
致知出版社『致知』2009年8月号(2009年7月発行)
『対談~師弟感奮興起物語:「世界の王」はこうしてつくられた』

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