佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2010/08/16 夏美遊:見どころ・楽しさ満喫!南イタリア写真紀行。

 Buon giorno(ブォンジョルノ :こんにちは)、Grazie(グラツィエ:ありがとう)
 この言葉をかわすだけで友達となったように接してくれるイタリアは明るく大好きです。

 今年の夏期休暇は、燦々と煌めく太陽が、肥沃な自然・大地が、魚介豊富で美しい青い海が、そして奇跡としかいいようのない不思議な世界遺産が満ち満ちた南イタリアの旅を満喫しました。10数年前にローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノ等を訪ねて以来のイタリア。南イタリアは初めての体験でした。

 美術・歴史好きの私は、当初南イタリアは余り心が動きませんでしたが、娘たちの強い勧めでこの企画旅行に参加しました。実際に南イタリアを訪ねて、女性たちが行きたい気持ちがよくわかりましたが、それと同時に男性も本当に楽しめることを知り、私の再度行ってみたい地域に加えました。やはり女性と一緒の方が楽しい場所、美味しい食事が見つかりますね。

 「青の洞窟」。カプリ島宿泊第1日目で見られる幸運に恵まれました。一緒の旅行グループの多くの方から、これだけで“元(もと)がとれた”という喜びの声があがる程の驚異の神秘的体験でした。南イタリアは、世界遺産ナポリ、ポンペイ、アマルフィー、マテーラ、アルベロベッロ等見どころが多い。
 
それでは、私の撮った素人写真と、体験・調査した貴重なコメントを是非ご覧頂きたいと思います。

(1)「青の洞窟」あるカプリ島:現代の“セレブ島”といわれるカプリ島に2泊し、ゆったりと“セレブ気分”を味わう。

写真①「青の洞窟」入り口周辺
↑写真①「青の洞窟」入り口周辺

◇<写真①「青の洞窟」:深い青に屈折した太陽光線が織りなす神秘的青・蒼・碧に魅せられ、世界から老若男女が毎日やってくる>
 
 見たままの光景を写真に納めるのは難しいですね。“写真に夢中になって肉眼で見るのを忘れるな”と船頭さんに言われたせいか、私は肉眼で神秘の体験にすっかり酔っていたようです。それほど魅了するすばらしい魅惑の青・蒼・碧です。このために、世界から老若男女が毎日大勢やってくるのです。カプリ島は、多くの洞窟があるそうですが、断トツ「青の洞窟」が人気です。

「青の洞窟」の中 「青の洞窟」の中
↑写真①「青の洞窟」の中

 小舟に4名が乗り、船頭さんの指示で寝るような格好で頭を下げます。洞窟の入り口は低いので、天候や潮の満ち引きに影響を受けます。前2日間は見られなかったそうです。私たちのツアーは2泊し2回のチャンスを備えていましたが、1日目の朝早く一番に見ることができました。カプリからアナカプリを通って早めにバスで行ったことも良く、現地ガイドの力もあるようです。ローマから日帰りコースの大型船は昼頃に洞窟の近くに着き、1~2時間停泊して、小舟に分乗しますので相当時間がかかるそうです。私は幸運でした。

カプリ島中心からの風景 ソラーロ山から見たカプリ島と海 ロープウェイから見たカプリ島と海
↑写真② カプリ島の風景
カプリ島での夕食 カプリ島での夕食 カプリ島での夕食
↑写真② カプリ島での夕食

◇<写真②“現代セレブ島”カプリ島の絶景と楽しい夕食>

 現地ガイドの説明によるとカプリ島は、“超セレブ”の別荘が多い現代の“セレブ島”。夏には桁違いの超セレブが避暑に来るそうです。「青の洞窟」にバスで行く途中のアナカプリ地区でそれらしい別荘地帯を数多く見ました。桁違いの敷地の広さと建物に、欧米・中東の超格差社会の現実を知らない日本人は皆驚きますね。

 文献によると、「カプリはアウグストゥス帝と後継者のティベリウス帝の好んだ別荘地であった。」(参考文献3:98ページ)という。

 アナカプリ地区からロープウェイでソラーロ山山頂へ。ロープウェイに乗りながら見るのも、ソラーロ山頂から見るのも、カプリ島と青い海の風景は素晴らしい。

 私たちが宿泊したカプリ島のホテルのすぐ近くに、某国政府があと押しする五つ星ホテルがあります。そのホテルのレストランの夜の服装も華やかでした。中心街では、暑い中でも正装の男性も見られます。世界のブランド品専門店が通りに連なっています。日本人女性も多いですが、ほとんどはツアー参加者です。

 地元に詳しい女性ガイド、ツアー仲間と一緒に行った人気のレストランは最高。美味しく楽しい夕食に満足でした。世界の有名人の写真が数多く飾ってありました。何でもよく情報を聞いてチャレンジしてみるものですね。

(2)世界遺産「ポンペイ」と世界遺産「ナポリ」(世界3大美港を持つイタリア3番目の都市)

ホテル前から見た「サンタルチア港」 ホテルに近い「卵城」
↑写真③ ホテル前から見た「サンタルチア港」、ホテルに近い「卵城」  
 
◇<写真③ホテルから見たナポリ湾と卵城>

 「ナポリを見て死ね」の諺通り、ナポリは世界3大美港の一つと言われ、美しい港まちです。ナポリのホテルは海に面していたので、朝散歩しました。近くに「卵城」と呼ばれる小さな要塞がありました。ナポリは、1995年城と王宮を中心に世界遺産となった。数年前、ゴミ問題が報道された記憶があり注意して見ましたが、朝7時頃には海岸に面する道路はきれいに清掃され、ごみ箱のビニール袋も新しいものに取り替えられていました。

ポンペイ遺跡 海への門 温水浴場
↑ポンペイ遺跡写真④ 海への門、⑤公共広場(フォーロ)、⑥温水浴場
温水浴場の噴水 パン屋 大劇場
↑ポンペイ遺跡写真⑥温水浴場の噴水、⑦パン屋、⑧大劇場

 ◇<世界遺産「ポンペイ遺跡」を歩く~1900年前の古代ローマが現存する奇跡>

 紀元前8世紀に建設された商業都市ポンペイ。紀元前4世紀にローマ圏。79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が爆発し、街は一瞬に灰に埋もれてしまった。1748年にナポリ王のカルロ7世が発掘して当時の街が遺跡として蘇った。建造物や街区が当時のまま現存する唯一の町と言われる。その奇跡の遺跡を歩いた。

写真④海への門~紀元前2世紀の門。遺跡の入り口にも近い。「この名前は海に向かって面していることに由来し、ポンペイの位置する丘と海岸まで続く平野部を結ぶ最短の交通路となっている。」(参考文献3:9ページ)

写真⑤公共広場(フォーロ)~この周辺を歩いてみた。広い。「古代都市の中心は広場である。それはフォーロと呼ばれ、その周りに公共の建物、市役所、神殿、記念建築物が配置されていた。」(参考文献3:14ページ)

写真⑥温水浴場~男女両方の浴場が当時整備されていた。「温水にこの浴場(ガリダリウム)では、通常の浴槽が設置されており、さらに火照った身体を鎮めるための冷水の湧き出る噴水が置かれていた。」(参考文献2:61ページ)室内は彩色漆喰の洗練された神話シーンや草葉模様等の飾りがある。別の街区では、娼婦の館や男女のエロチックな壁画が見られました。

写真⑦パン屋~ポンペイには個人商店のパン屋(ピストリウム)が34軒あったという。石で作った挽き臼と木のかまどがあり、後者のかまどはナポリのピザ屋で今も使用しているものに似ているそうだ。炭のようになったパンが大量に発掘現場から発見され、パンの外形もしっかりと伝えている。

写真⑧大劇場~紀元前2世紀に建てられ、舞台はレンガで作られ、大理石が張られた。道化芝居、無言劇、ダンスや音楽もあったらしい。

ナポリ考古学博物館 ナポリ考古学博物館 ナポリ考古学博物館
↑写真⑨ ナポリ考古学博物館

◇<写真⑨ナポリ考古学博物館は、ポンペイ遺跡を収蔵>

 ナポリ考古学博物館は、フレスコ画、彫刻、装飾品、生活道具などポンペイ遺跡発掘品を収蔵する総合的な博物館です。ポンペイ遺跡と両方合わせてみると、79年8月24日、ヴェスヴィオ火山が爆発する前、1900年以上前のギリシャ・ローマ古代文明の全貌が現実のように伝わってきます。技術、生活レベルの高さに驚きました。
 

(3)世界遺産「アマルフィー」:王侯・貴族の避暑地。織田裕二主演映画『アマルフィー 女神の報酬』の舞台。

アマルフィー海岸線 ドウーモと街並み ドウーモ(大聖堂)内
↑写真⑩アマルフィー海岸線、ドウーモと街並み、ドウーモ(大聖堂)内

写真⑩アマルフィー~切り立って蛇行する海岸線30Kmのドライブ。狭い海岸道路を幅限定されたバスがぶつかり合うように走る。9世紀頃、海洋国家として栄えたアマルフィー。その中世を見ているような海岸線には白壁の家や別荘が点在し、かつて王侯・貴族の避暑地となり、現在も世界から有名人がやってくる美しい街である。ドウーモ(大聖堂)と天国の回廊を見た。宗教意識の強い地域でもある。

 昨年夏、織田裕二・天海祐希主演映画『アマルフィー 女神の報酬』を見ました。フジテレビ50周年記念の映画作品である。日本映画史上初めてのオールイタリアロケに挑戦した作品でした。ローマのサンタンジェロ城・カピトリーニ美術館等、ナポリ近郊のカゼルタ宮殿、そしてローマから南200キロの美しい町アマルフィーが舞台。その映像と音楽を思い出しました。

(4)世界遺産「マテーラ」:岩山をくり抜いた洞窟住宅群「サッシ」と岩窟教会の町

洞窟住宅「サッシ」 洞窟内寝室 洞窟内生活道具
↑写真⑪ 洞窟住宅「サッシ」、洞窟内寝室、洞窟内生活道具

写真⑪マテーラを象徴する全景をご覧頂きたい。旧石器時代から20世紀まで実際に住んでいた洞窟住宅群「サッシ」と岩窟教会の町と言われる「マテーラ」を歩いた。洞窟に入り、その寝室や生活道具もそのまま残っている。1993年世界遺産となった。

 巨大な峡谷に沿って形成され、岩で出来た建築の中に空間を掘ったかのような、岩石建築に特徴がある。森林に覆われ、渓流で水を確保する環境が旧石器、青銅器、鉄器時代と人類が住み続けた要因といわれます。住居、馬小屋、教会、ワイナリー等として使われました。

 8世紀から12世紀にかけて東方から逃れてきた修道僧たちが、生活の場、信仰の場にしたのが岩窟教会だそうです。

 20世紀の都市化によって放棄されるまでに、サッシには23,000人程度住んでいた。現在は、サッシの家をリニューアルして約350家族が住んでいます。マテーラの人口は、58,000人。マテーラのような岩穴住居群は、トルコのカッパドキア、ヨルダンのペトラにも存在しており、私は昨年トルコ旅行でカッパドキアを訪ね、見学したことも思い出しました。先輩の人間たちの粘り強い営みに驚異と敬意を自然と抱く。

(5)世界遺産「アルベロベッロ 」:“おとぎの国”に来たような「トンガリ屋根の町」

アルベロベッロ風景 トンガリ屋根 お店の人形
↑写真⑫ アルベロベッロ風景、トンガリ屋根、お店の人形
自家製パスタ菜の花あえ 耳たぶパスタ(オレキエッテ)
↑写真 自家製パスタ菜の花あえ、耳たぶパスタ(オレキエッテ)

写真⑫「トゥルッリ」(トゥルロ)というトンガリ屋根に白い壁の家が並ぶアルベロベッロ。童話の世界に来たような不思議な気持ちになる。アルベロベッロ在住でお店を経営する千葉県出身?の日本女性ラエラ陽子(Laera Yoko)さんの執筆した『イタリアのかかと アルベロベッロを拠点としたプーリア地方の歩き方』等を参考にちょっと紹介します。

 「トゥルッリ」(トゥルロ)の家は、円錐形の天井屋根と小尖塔が特徴です。「天井に空間を生み出すため、4本のロマネスク様式のアーチを丸天井の下支えとして使っている。これは上部の重みを分散させる役割を果たしている。・・(略)・・トゥルロの頂部にある小尖塔は、平面状のものから幾何学的な形のものまで実に多様な装飾が施されている。これらは太陽崇拝、または魔除けの意味を持つものとされている。」(参考文献6:5ペ-ジ)

 東方から来た民族が持っていた、墳墓(トゥムリ)や球面体の屋根(スペキュラ)を造る技術が起源とされる。

 ナポリ王フェルナンドⅣ世によって、王のみに従属し、自由な独立した市となった翌年の1797年。最初の市長選挙で新しい自治体が誕生した時に「アルベロベッロ」という名前となったという。

アルベロベッロ風景
↑写真:ラエラ陽子(Laera Yoko)さんより「アルベロベッロ」の街並みの画像を提供頂きました。

 私は、「陽子のお店」で手作りの食材を職場のお土産に購入しました。また、画家の卵らしい?若い女性のお店でトンガリ屋根の家を描いた小さな絵を買ったので、BIP事務所に飾る準備をしています。昼食は、菜の花パスタ、夕食には、この地方に独特の耳たぶ風パスタ(オレキエッテ)も初体験。

 アルベロベッロは、日本の岐阜県白川郷と姉妹提携しています。「手づくり草木染色織物店」の女主人は、何回も白川郷を訪ねたとうれしそうに笑顔で教えてくれました。

(6)ローマ:最後は、やはりローマで散策、夕食を楽しむ

スペイン広場 スペイン広場 カフェ・グレコ
↑写真スペイン広場、カフェ・グレコ

ピッツァレストラン ピッツァレストラン ピッツァレストラン
↑写真 ピッツァレストラン

バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂 バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂 バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂
↑写真 バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂

 猛暑のローマ。帰国前日は、スペイン広場、ショッピング街中心に休憩しながら散策しました。今回もスペイン広場近くのカフェ・グレコでゆったりとアイスカフェオレコンパンナを楽しみました。

 超人気のカバンブランド店は、入店待ちの行列に付き合い45分並んで待っていました。ヨーロッパのブランド企業は業績回復基調のようで、先日も大幅増益決算(日本を除き)が報道されていました。ユーロ安で観光客増加の欧州、新興国・米国への輸出が好調のようですね。猛暑に長時間立ったせいか、日銀・政府の円高無策ぶりがうらめしく感じました。

 夜は、ローマに詳しい女性ガイドさんに紹介されたピッツアレストランで最後の夕食。一人分のピッツァは大き過ぎるので、分けて色々な種類を味わって良かったです。私たち家族は7時頃から食事を始めましたが、8時過ぎになると、地元のご家族、恋人たちが一斉にやって来て金曜日の夜を楽しんでいました。帰国当日の朝もちょっと頑張って早起きし、バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂周辺を散策しました。

皆様、夏期休暇はもう終わりましたか? さあ、気分を切り替えて仕事再開ですね。

以上

(参考文献)
1.『徹底ガイド 世界人間旅行 南イタリア』((株)ラテラネットワーク 2009年11月27日改訂)
2.『ポンペイ 発掘ガイド』(Electa Napoli 2003年出版)
3.原本A・デ・フランチシス(改訂I・ブラガンディーニ)『ポンペイ・エルコラーノとカプリのヨーヴィス邸』(VISION s.r.l. 2008年初版第1刷発行)
4.マリアヴイットリア カルノヴァーレ アルド キエテラ『マテーラガイド サッシと岩窟教会の街』(ジャナテッリ出版社)
5.Laera 陽子『秘境マテラへ』(1994年)
6.Laera 陽子・杉山玲子『イタリアのかかと アルベロベッロを拠点としたプーリア地方の歩き方』(1994年)

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