佐々木昭美のBIエッセイ 明るく楽しくイノベーション

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2013/03/04 「一流」に学ぶ~天皇陛下の執刀医天野篤心臓外科教授の生き方

 もともと自伝・伝記が好きでしたが、最近は自分と違う職業の方で「一流」と言われる方々の著書をよく読みます。「一流」の方の歩んだ長い道、職業形成の真実、勝つための準備、思考のスタイル、生き方を決めた逸話、老齢となる将来への考え方など学ぶことが多い。

 最近、天皇陛下の執刀医天野篤順天堂大学医学部心臓外科教授の著書を3冊読んだ。『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』は、え、ここまで書くとは!と思う程天野教授が自分を赤裸々に語っています。

私の心に残ったことは3つ。①先達を真似る ②未開でも行く ③山谷あっても努力を続ける。

参考資料



【1.エリートでない「偏差値50」の曲がりくねった一本道】

参考資料

 今や知らない方はいないと言える心臓外科医天野篤教授。昨年2月16日、78歳と高齢となられた天皇陛下のオフポンプ冠動脈バイパス手術を成功させた心臓外科医ですね。

 でもその時、多くの国民が何故順天堂大学の心臓外科医が選ばれたのか?と不思議に思った方が多かったのも事実です。それは、一般にはまだ知られていなかったからですが、既に日本一の実力者と医学界が認めていたからに相違ありませんね。

 私も都内の定期検査病院が順天堂大学病院。心臓外科と循環器内科と同じ窓口にあり、天野先生という名前は聞いていましたが、天皇陛下の執刀医になるとは正直驚きでした。本書では、勤務した各病院での様子も詳細に語られ、K氏の外科医小説を読んでいるようで面白かったです。

アカデミズムも認める医術の「一流」となられた天野教授の本書は、知られざる心臓外科医の現場を知る機会になる。それより何よりも、未だ一流の境地に至らない我々読者にも勇気と人生への限りないエールを送って頂いていると思っています。

 天野教授は、自分の生き方を「偏差値50」と形容することがあるという。埼玉県に住み、浦和高校入学も部活スポーツで初めての挫折体験。浪人中は麻雀、パチンコのギャンブル三昧生活。三浪して日大医学部入学。以後の職業人生も、偏差値エリートが通らない曲がりくねった道を経て現在に至る。天野教授はそれが決断の連続した一本道だと語る。

天野教授の弁。「「偏差値50」の人間は、自分でなんとかしなければ上のグループに入ることはできない。偏差値75のエリートと伍するには、彼らと違ったかまえ方を自分で見つけていかなければなりません。「偏差値50」からスタートした私は、このような流儀にしたがって生きてきました。」(参考文献1)

【2.2倍でなく3倍働きなさい。】

参考資料

 人の3倍働く。この数字を記憶し意識するようになったのは患者さんの言葉であったとその逸話を語る。

「患者さんと何度もコミュニケーションを重ねていると、話題が病気意外のことに及ぶこともあります。患者さんから私に対する印象や評価を聞かされることは、自分が医師として「人を癒す」ことができているかそうかを確認する良い機会です。
 患者さんは医師にとって教科書です。そして、ある患者さんの一言は、自分への戒めとしていまも強烈に心に刻まれています。
 それは不動産関係の会社を一代で築いた年配の男性でした。明け方に病棟を回ったとき、彼はすでに目を覚ましており、こう声をかけてくれました。
 “先生は若いのによく働くね。俺も若い頃は人の三倍働いた。人の三倍やったと自分で思えたときには、必ず神様が何かをくれるんだよ”」(参考文献1)

平日は帰宅せずに睡眠4時間前後で働いている。それが、現在約6000件の臨床例となった。若いときはもっと本を読め、勉強せよと言う。動きの悪い奴はつまみ出す。奇跡ではなく努力の結果。言葉を実行する天才とも言えますね。

 外科医にとって、なぜ手術数が重要なのかを補足しておきます。

「外科医にとって、手術数はとても重要だ。
 スポーツ選手でも職人でも、どんな職業でも同じことがいえると思うが、腕の良し悪し
は経験値に比例する。やればやるだけ腕は上がるし、切れ味や迅速性などにも磨きがかかる。正しい判断や見極める能力も高くなる。窮地に陥っても、パニックにならずに冷静に対処できるようになる。技術面、精神面ともに鍛えられてくる。」(参考文献2)

【3.小医・中医・大医がある。迷わず行けよ、行けばわかるさ!】

参考資料

 天野教授が、臨床で忙しい中で相次ぎ論文執筆、講演、出版やドラマ監修などをやっているのは、先達の教えだという。

 当時、国内屈指の心臓医療現場であった亀田総合病院。初代心臓外科部長外山雅章先生からは、無駄のないパイパス手術、カルテ即時記録の重要性、部下育成の仕方など。二代目鈴木隆三先生からは論文作成を鍛えられたという。

 相談した多くの方から勧められなかった新東京病院での須磨久善先生との出会いも大きい。オフポンプバイパス手術を初めて習得した。『致知』で対談している東京ハートセンター長南淵明宏先生とは、新東京病院で1年3ケ月一緒に働いたという。

 順天堂大学病院は、教授の役割をゆるやかに考慮して、多くの臨床実践をバックアップしてくれたという。

 また、多くの先達の言葉が自分を支え、人生を変え、育てて頂いたと謙虚に語る。

①結婚式での東大病院分院の小児科助教授早川浩先生のスピーチに寄せて

「“病を癒やすは小医、人を癒やすは中医、国を癒やすは大医。せめて中医になるように努力しなさい。” この忠告は、自分が考える医師という仕事のあり方に大きな影響を与えてくれました。・・(略)・・自分がやるべきことは、手術の腕を磨いて、患者さんの病気を治すだけではない。患者さんとコミュニケ-ションを積極的に図り、病気に対する不安を取り除くことも大切な仕事である。そして、手術が成功したら終わりではなく、臨床医の論文を書いて学会発表し、より多くの患者さんに貢献することも必要であると、そのときから強く意識するようになりました。」(参考文献1)

②プロレスラー アントニオ猪木さんの言葉に寄せて

私もプロレスの大ファンだったこともあり、天野篤教授がアントニオ猪木さんファンだったと聞いて一瞬嬉しくなった。猪木さんが引退セレモニーで述べたメッセージの一節が焼き付いていて、天皇陛下の執刀医に選ばれた時も思い出したという。

「“この道を行けばそうなるものか。・・・迷わず行けよ、行けばわかるさ”・・・もともとは一休和尚の言葉だと言われています。高校生の頃から猪木さんのファンだった私は、大きな決断をするときには、つねに心の中でこの一節を唱えています。」(参考文献1)

 天野教授は、「プロフェッショナルとは、より高みを目指す人だと思います。」(参考文献3)と述べています。

新たな道は、自分が歩んで初めてできる場合がある。実践して、多くを知り、学び、成果を重ねる。何よりも新しい出会いが人生に何かをもたらす。奇跡ではなく努力が実りを生むと信じて高みを目指すプロフェッショナル天野先生。本を通じてであるが、出会えて勇気と生きる智恵を頂いた次第です。

以上

(参考文献)
(1)天野篤『この道を生きる、心臓外科ひとすじ』
(NHK出版新書 2013年2月 定価 本体740円+税別)
(2)天野篤『一途一心、命をつなぐ』
(飛鳥新社 2012年12月 定価 本体1500円+税別)
(3)人間学を学ぶ月刊誌『致知』対談「仁術の道は限りなし」
(致知出版社 2013年3月号 定価 1020円+税別)

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thumbnail_sasaki佐々木 昭美(ささき あきよし)

取締役会長 総合研究所所長

経営コンサルタント(経営改善、事業開発、ビジネスモデル、 人事戦略、IPO、M&A、社外取締役)

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